2005/10/07 |
国民総医療費の話題その3
命の囲い込み
今年6月、国民総医療費について総額管理制を設けることが一旦棚上げの形となった。しかしこのたびの選挙後、早くも経済成長に準拠させる総額管理導入と保険給付の制限までも浮上している。これらは医療関係者のいない内閣府の諮問機関で主導される。文脈は「良い医療を受けたいのならより多く消費し、より多く民間保険に入りなさい」と訳すことができそうだ。
医療の市場化の狙いは生命を商品として囲い込み、徹底してその現象の利潤化を図ろうというものだろう。医療は聖域ではない、という宣言にはこのような意味が込められおり、今後の医療は社会保障の色彩を薄めていくのだろうか。
日本の国民皆保険制度は最も明るい社会保障の一つだ。しかし市場原理のもと、より多く消費した者から手厚くするというのであればなんと暗い現場だろう。多くの笑顔より多くのスラムを作る方が安上がりという判断では安直すぎて社会保障とは呼べなくなる。渾身の医療を意味から変えられることだけはどうしても避けて頂きたい。今後とも生命の平等さが認められ、密かなる赤ひげの心を灯せる医療が可能な社会であって欲しい。
今年6月29日、来日中のビルゲイツ氏が首相を訪問した。NHKのニュース画面で首相は氏に「世界一のお金持ちなって一体何に使っているのですか」と尋ねた。
「医療を行えばお金はいくらあってもたりません」
医療制度や税制の違いもあろうが、傲慢な自己責任論や、勝ち組負け組などのおごりは感じられなかった。氏が言うまでもなく、私たちには多くの人が信頼を寄せ優しさを期待している。我々自身がむさぼりを行ったり謹みを失うようであれば、医療は改革の名のもとすぐにでも市場化へと放られるだろう。ここは古い管理国家でも新しげな自由主義の国でもない。しかるべき文化の薫る国だと思いたい。
※2005・10・6の掲載文を短縮し一部手直しをしました。
2005・10・7 上越医師会 会長 |
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